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   <title>狂気の海:公式HP</title>
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   <updated>2008-08-06T00:18:53Z</updated>
   <subtitle>監督/脚本：高橋洋出演：中原翔子 田口トモロヲ 長宗我部陽子</subtitle>
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   <title>TOP</title>
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      <name>管理人</name>
      
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      <![CDATA[<a href="http://www.kyoukinoumi.com/poster.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/poster.html','popup','width=780,height=1104,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/poster-thumb.jpg" width="480" height="679" alt="" /></a>]]>
      
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   <title>またもキネ旬に！</title>
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   <published>2008-08-09T10:11:19Z</published>
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   <summary> 　現在発売中のキネマ旬報８月下旬号に『狂気の海』批評が載っています。 　ブルー...</summary>
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      <![CDATA[<a href="http://www.kyoukinoumi.com/080802main.jpg"><img alt="080802main.jpg" src="http://www.kyoukinoumi.com/080802main-thumb.jpg" width="120" height="169" /></a>

　現在発売中のキネマ旬報８月下旬号に『狂気の海』批評が載っています。
　ブルース・リー特集号というのがまた何ともうれしいですね。
　評者の島田慎一さん、ありがとうございます！]]>
      
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   <title>名古屋上映終了</title>
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   <published>2008-08-03T17:30:32Z</published>
   <updated>2008-08-03T17:40:14Z</updated>
   
   <summary> 　８月１日をもって名古屋シネマテーク上映も終了しました。 　これにて２月の大阪...</summary>
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      <![CDATA[<a href="http://www.kyoukinoumi.com/%E7%A5%9E%E5%83%8F%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/%E7%A5%9E%E5%83%8F%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88.html','popup','width=320,height=195,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/%E7%A5%9E%E5%83%8F%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88-thumb.jpg" width="320" height="195" alt="" /></a>

　８月１日をもって名古屋シネマテーク上映も終了しました。
　これにて２月の大阪プラネット＋１から始まった『狂気の海』上映活動は、ひとまず終了です。大阪、夕張、広島、東京、名古屋とご来場頂いたみなさま、ご声援下さったみなさま、本当にありがとうございました。
　今後の展開については、現在検討中ですが、判り次第またご報告します。
　その節は、またどうかよろしくお願いします。]]>
      
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   <title>沖島勲  X 高橋洋 対談 （１）</title>
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   <published>2008-07-31T18:04:04Z</published>
   <updated>2008-07-20T20:59:34Z</updated>
   
   <summary>　対談：高橋洋 『狂気の海』 脚本/監督 　　　×沖島勲 『一万年、後....。...</summary>
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      <name>管理人</name>
      
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      <![CDATA[　<b><font size="4"><font color="#008888">対談</font>：<font color="#bb0000">高橋洋</font> 『狂気の海』 脚本/監督
　　　×<font color="#0000ff">沖島勲</font> 『一万年、後....。』 脚本/監督</font></b>

<a href="http://www.kyoukinoumi.com/kyouki051.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/kyouki051.html','popup','width=640,height=390,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/kyouki05-thumb.jpg" width="320" height="195" align="left" alt="" /></a>　名古屋シネマテークで7月26日（土）から8月1日（金）までの公開を控えた『狂気の海』と『一万年、後....。』の両作。（未見の方々のために詳細はつまびらかに語れないのだが…）この二作を並べてみると「消滅に」向けて進む物語と「消滅から」向かってくる物語という逆ベクトルの推進力が交錯し合うトンでもない磁界が劇場に生まれるようである。<br clear="all">
<a href="http://www.kyoukinoumi.com/1man2.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/1man2.html','popup','width=720,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/1man2-thumb.jpg" width="320" height="213" align="right" alt="" /></a>　そこは映画の廃墟か墓場か、はたまた未来を指し示す可能性なのか…そんなことはよく分からないが、地下が蠢き、頭上に電波が行き交うその空間に何も知らず足を踏み入れてしまったお客さんはさぞ大変だろう。映画は元来アトラクションではあるが、そこはブラックホールが全てのものを容赦なくアトラクトするような「条件なき」娯楽の漆黒空間なのだから。<br clear="all">
　世代も資質も違う二人の作り手が今現在、同時代者として映画を作る--それがどのようなことなのか、今から大いに語ってもらおうではないか。]]>
      <![CDATA[<a href="http://www.kyoukinoumi.com/okishima3.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/okishima3.html','popup','width=336,height=231,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/okishima3-thumb.jpg" width="320" height="220" alt="" /></a>

<font size="4"><b><font color="#008888">■</font> 今、映画を作ること</b></font>

<font color="#008888"><b>進行</b></font>：『狂気の海』と『一万年、後....。』が二本立て公開される訳ですが、この二作に共通しているのは「限られた条件のなかでも、大きな物語を語ろうとする意志」とでもいうような作り手の姿勢ではないかと僕は思いました。高橋さんには既に色んなところで『一万年、後....。』について語っていただいているのですが、沖島さんは『狂気の海』を観て何を考えましたか？

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：僕はこの作品を二回観たんだけどね、一回目観てこれは傑作だと思いました。僕はこのあいだ出た『映画芸術』（422号）で若松孝二さんの新作のために松田政男さん、平沢剛さん達と対談したんですよ。作品を説明するために嫌々だけど「イラク戦争以後」って言葉を出したんです。オウム事件が起ったりした後に作った『YYK論争』（99年）の頃に考えていたような何か時代に対して物を言わなきゃいけないという感じと、また変わってきたように思う。ある意味で時間・空間がバラバラになっちゃった、そんな時代感覚とでも言えばよいのか。まぁ、「液状化」という言い方をする人もいるけどね。そういった時代感覚の変容の中で、どこから始まって、どこに行こうとしているのか、もう“骨格”がなくなってきているような気がする。そういう状況の中で高橋さんの『狂気の海』について語るときに、高橋さんの原点である子供の頃に見たTV番組や映画といった話をしても面白いんだけど、それよりも今現在の我々の危機感というか…要は次回作が撮れるかっていう「とっかかりのなさ」みたいな部分で、僕の作品や高橋さんの作品を語っていかないと本当の面白みや新しさが上手く言い表せないんじゃないか。これが一つね。
　もう一つは、見終わって嫌な感じがしないのは何故か、ということ。大概、ああいったテーマをやる場合、安っぽい作品だとお客さんにどういう風に刺激を与えるかという発想ばかりが全編に行き渡るんです。どんな作家でも人に見せるというのが前提だから、ある程度は皆やっている訳だし、あまりそういうことをやらない僕ですら観客のことはいつも意識して作っています。ただこのことについては、高橋さんが別のインタビューで言っている「よそよそしさ」という言葉がぴったりきたんですよ。つまりそういう発想で映画を作ったときにまず受けるのは「よそよそしさ」なんです。では何故、高橋さんの作品に「よそよそしさ」を感じなかったのか。高橋さんの作品の中にも奇抜なタイトルの出し方だってある訳だけれども、そういった細部とは別に、高橋さん自身がすごく自問自答しながら作っている、そして自分がまず満足して楽しみながら作っている、それがあるからだと思うんだよ。「よそよそしい」映画ってそれがないんです。その人自身が納得していない作品っていうかね。この違いは微妙かもしれないけど観ていると確かに感じることなんです。高橋さんの作品は、ある意味、奇天烈な話を展開しながら、全く「よそよそしさ」を感じさせない作品になっている。その点で僕は非常に納得して『狂気の海』を観ました。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：僕が「よそよそしさ」と別のインタビューで言ったのは、ハイデガーが森に対して感じたことが、僕にとっては、映画という商品に対する話であれば理解できるということですよね。僕はよく「ジャンル」ということを考えるんですが、僕がリアルタイムで一つのジャンルが機能しなくなっていくのを目の当たりにしたのが「ポルノ映画」だったんですね。８０年代に明らかにポルノ映画は失効していったという感じがあって、それは表面的にはアダルトビデオの勃興ということが言われるし、実際そういう面はあったと思うんですけれど、それ以前に劇場にポルノ映画を観に行って、シャワーシーンとかベッドシーンになったときに「別にやんなくていいよ」と思っちゃう自分がいた、と。これが観たくて来てるんじゃないんだよ、って感覚が襲ってくる度に、ああ、一つのジャンルが衰退してゆくってこういうことなんだろうかと、実感として判ったような…そういう体験が強烈にありますね。
　僕はホラー映画にかかわって長いんですが、今、ホラー映画もある意味で衰退してきていると思っているんです。作者の手つきが見えてしまうようになったことがその衰退の兆しですね。つまり、それは「はい、ここで幽霊が出ました」「はい、ここで怖いショットがありますよね」というように観客が望んでいる商品性を満たそうとする作り手の意識や手つきといったものです。それをやればやるほど（かつての僕がポルノ映画に感じたように）観客は引いてゆく。でも、製作委員会やプロデューサーとしても「まさにお客さんから要請されていることをやっているんだから、これでいいはずだ」という根本のところを変更できずに、同じことを繰り返してしまっている。そして気がついたらホラー映画というジャンルが衰退していく、そういう悪循環に陥っていると思うんです。僕がやりたかったのは、もう一回全部根っこから疑って物を作っていったらどうなるんだろう、ということだった。こういう作り手の意識を『YYK論争』を観たときに僕ははっきりと感じたし、だから公開されたときに、誰もまだこの映画に追いついてないと騒いだんです。
　最近、いやもっと前からかもしれませんが、プロデューサーから決まって聞かされるのが「感情移入」という言葉です。この言葉には昔から疑問に感じることがあって、何かの芸術理論をかじった時に知ったんですが、元々は主に美術系の言葉らしいです。作者が彫刻なり絵画なりを作るときに作品に自分の感情を込める、そうするとその作品が作者から込められたものを発信して、それが観る側に届くというものだった、と。つまりベクトルが逆なんですよね。本来「感情移入」と言われているものは作品から観客の側にベクトルが向かっているんですけど、今、プロデューサーが「感情移入させてくれないと困る」とか、あるいは観客が「映画を観てとても感情移入できた」と言っているものはベクトルが観客から作品に向かっているんですよ。作品が観客の気持ちに歩み寄れたかどうか。それは、僕たちの子供の頃の映画体験とはベクトルが逆でしょ？とよくプロデューサーに言うんです。かつては畏怖するものに不意に出会ってしまったかのように撃たれた訳だし、こっちの気持ちが乗せられるかどうかなんて観客が考えている余裕がなかったよね、と。そうするとプロデューサーも「うん、その通りだ。昔の映画はパワフルだった」と同意するんです。それでも「今はそうではないから観客の気持ちが乗せられるように作ってくれ」と言われる訳なんです。つまり、作り方が変わったんだ、と。それでいつも「そういう作り方をしたくないんだ」と揉めてしまう（苦笑）。
　観客はこういうリアクションをしてくれるという分かりきったことをやっていたら、面白いものなんかできっこないし、やっていても楽しくないです。そうではなくて、どうなるか分からないからこそ、やってみるんじゃないか、と考えているんですけどね。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：映画を一つの会社組織として資本を循環させながらやっていくとなると、当然「プログラム」でやっていく訳だよね。プログラムというのは作品の回転率とお金の回転率を合わせていかなければいけないし、会社である以上儲けることが至上命令だから、どうしてもやることが決まってきちゃう。ロマンポルノだって初期は活動屋が何でもありだから好きにやっちゃえ、という勢いで面白い作品が生まれてきたんだろうけど、結局、プログラムとして凝り固まっていって、今度は大奥ものだ、女学生ものだ、とだんだんと訴えるものが希薄になっていく。ただし、資本である以上、どうしたってこうならざるえないでしょう。
　大昔は放っておいても、お客さんが群がるくらい映画館に足を運んでいたから、映画業界も余裕があった訳ですよね。大手五社の社員監督なんて今から思えば実に恵まれた境遇でさ。日活の人達だってそうだったよ。何も仕事しなくたって作家で監督だから、それで給料だけもらえるんだもん。それだけの余力がかつての映画にはあったけれども、今はもうそんなことはできないから、どんどんセコくなって映画を取り巻く状況自体が擦り切れてきているってことじゃないかな。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：プログラム・ピクチャーが番組として堂々と機能していた頃は、作り手は凄くやりやすかったと思いますよ。僕らもVシネマでギリギリそういった体験をできたんですけど、そこでは変な意味で個性に走らなくても良かったんですよね。例えば、よく教育論で言われるケースで、子供たちに向かって「あなたのやりたいことをやりなさい」と言うと、子供達が悪い意味での「個性」という罠に嵌るっていうことがありますが、同じような事態が映画でも起こりうる。それは、自主映画を観ているとまざまざと思い知らされる訳で、別に自主映画は色々あって当たり前なんですが…根っこのところを考えてゆくと、映画は一人の人間の個性で物を作っていたんじゃないですね。
　それこそ「好きなことをやりなさい」と言われたときに思考停止というか前に踏み出せなくなってしまうというのは、とりたてて見つめなくても良い物まで見つめざる得なくなってしまうということだと思うんですけど、現状は映画界も「作家性」という名の個性におんぶに抱っこという感じになっているんですよね。それはもはやジャンル映画が機能しないし、プログラム・ピクチャーもなくなったし、何を作っていいか分からなくなってしまっているから、結局作家の個性頼みになってしまうんです。ただ、それは違うんじゃないか、と。そうじゃないところから物を作っていかないと、かつてあったオーラみたいなものを映画に付与できないだろうと思います。

（２）につづく]]>
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   <title>沖島勲  X 高橋洋 対談 （２）</title>
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   <published>2008-07-31T18:04:03Z</published>
   <updated>2008-07-20T20:59:34Z</updated>
   
   <summary> 沖島：Vシネマって言うけど、高橋さんはどういうのやっていたの？ 高橋：僕がやっ...</summary>
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      <name>管理人</name>
      
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      <![CDATA[<a href="http://www.kyoukinoumi.com/kyouki081.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/kyouki081.html','popup','width=640,height=390,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/kyouki08-thumb.jpg" width="320" height="195" alt="" /></a>

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：Vシネマって言うけど、高橋さんはどういうのやっていたの？

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：僕がやっていたのは最初は東映ビデオでダブルエックス（XX）シリーズっていう女の殺し屋もので、エロティックとアクションが組合わさったものでした。あの頃は僕の仲間たちがいわゆるエッチVシネと言われるものをやっていて、ギリギリまだジャンル映画として機能していたんですね。今でもなくなった訳ではないけど、僕らのやっていた頃の月に何十タイトルと量産されていたVシネという形とは違ってきていますね。]]>
      <![CDATA[<font color="#008888"><b>進行</b></font>：どういうところがやりやすかったのですか？

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：それこそ沖島さんが東映でうんざりしていたであろうプログラム・ピクチャーに似た働きを当時のVシネマがしていた訳です。例えば、哀川翔さんが出演すると何千本は売れると必ず計算できる訳でしょ。そうすると哀川翔さん主演で何かとにかく一本考えてくれって言うようなオーダーが来るし、非常にやりやすい（笑）。そういう時ってずっと使われ続けてきたヤクザVシネの形式を疑いながら作るっていう余裕もあるんですよ。ヤクザVシネにも勿論こうしなければならないっていう定式はあるんだけれども、それが何か表現を規制しないというか、その間をかいくぐって色んなことができちゃう面白さがあったんです。そういう枠があるから、こっちもそこに集中しやすかったんですよね。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：若い時代にそういう修業時代の機会があるかどうかっていうのは随分大きいよね。ロマンポルノの連中だって、そこからライターや監督がでてきた訳で。今は本当にそういう機会がないんじゃないの。そうするとどこでそういう修行期間を送ればいいのかって難しいよね。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：今の若い監督だと、デビューからいきなり“作家”として勝負しなければいけない。そこで物を作っていかないといけない状況は本人にとってもキツいだろうな、と思いますね。

<font color="#008888"><b>進行</b></font>：『一万年、後....。』も海外に紹介していただけるということで、カタログ作りのためにいろいろと作業をしていたのですが、紹介のために必ずジャンルを規定しなければいけなかったんです。そこには「SF」、「ホラー」、「ファミリー」、「コメディ」、「恋愛」等のジャンルがあったのですが、どうにも困る訳です。通常は「SF」とすれば通りが良いんでしょうが…悩んだ末、「恋愛」以外の全部のジャンルを選択しました。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：ホラー映画は未だ機能している数少ないジャンルですが、中にいる自分の感覚としては、先ほど言ったように、ここでお客さんが幽霊を観たがっているから「はい、出します」というのは、もうしらけてしまう。そのことを生々しく自分の手触りで感じてしまうから、少なくともホラーと言われているジャンルは変質していかざるをえない、と思うんですよ。
　僕は『一万年、後....。』はゴースト・ストーリーだと思うんです。ジャンルというのは作る側が映画を商品として機能させる術でもあるんだけど、一方で物を認識するときの見方でもあるんですね。例えば、『一万年、後....。』がSFだ、というのは分類にすぎない。ただし、ゴースト・ストーリーだというのは批評なんです。それはこの作品が孕んでいる認識を何か言い当てようとしている言葉である、と。一万年後の未来を描いているからSFだっていうのは、すごくいい加減なことなんですよね（笑）。
　それでもSFだってジャンルとして本当に機能しているときは、そうではなかったはずです。例えば、一般的にホラー映画と分類される黒沢清さんの『回路』（00年）なんていうのは、あれは実に正しいSFですよ。SFがゆえに怖くはないってとこが不満ではあるんだけど（笑）。逆に『一万年、後....。』はゴースト・ストーリーだから怖いんです。『回路』で示されている認識っていうのは、黒沢さんがインタビューで答えている「幽霊＝人間」でしょうね。無限の時間軸の上に人間と人間を出自とする幽霊を置いてみて、そこから幽霊を、人間とは位相の違う、一種、知的生命体のようなもとして捉えていく。これは宇宙人やゾンビに近い、SF的なものの捉え方です。一方でゴースト・ストーリーの目指しているものって、人間が認識しえない何かにちょっと触れてしまった、という体験をさせることなんですね。その意味で『一万年、後....。』には幽霊が出てきた感じがすごくあるんですよ。
　『一万年、後....。』を観たときにあの世とこの世のことを考えていたんです。チラシコメントにも書いたんだけど、あの世は人間が思考しえない領域で考えることが不可能だけれども、一万年後というこの世の世界であればかろうじて人間は思考することができる。ただ、その後、二回目に映画を観て気づかされたのは、一万年後の世界に住む人間たちがあの世の比喩のように存在している訳ではない、ということを僕はコメントで言いたかったのだ、と。つまり、幽霊なのは阿藤快さんなんだよね。映画の中で、阿藤さんは現代人として忽然と一万年後の世界に現れちゃったんだけど、あそこにたまたま現れた現代人こそが実は幽霊だ、と。そうすると映画を観ている僕たち全員が阿藤さん＝幽霊の立場にいるっていうことなんです。あそこでは日本語もなくなっていて、一万年後の少年たちが話している言葉は全く訳がわからない言葉なんだけれども、阿藤さんには日本語として聞こえているし、舞台になっている昭和っぽい室内なんかも、実は阿藤さんの目にそう見えているだけってことなんだよね、きっと。これは幽霊が一万年後の世界にさまよいでてきちゃって、目の前にあるものを認識しようとしたら、自分がもっている物差しで見るしかないから、こう映っているんだっていう物凄く恐ろしい断絶を描いているように見えてきたんです。結局、阿藤さんが一万年後の世界に現れる前に見てきたという電波の海のような訳の分からない世界が何なのか。これは、絶対人間には知り得ないものであって、そういったところがゴースト・ストーリーの領域なんだろうな、と。
もちろん、お客さんの多くが『一万年、後....。』をゴースト・ストーリーとして了解するかどうかは分からない。さきほど話にあがったお客さんの望むものにだけ合わせて共感を呼ぶだけの物を作るとなると、作品が畏怖すべきものにはなりえないけど、お客さんにとって不親切なものを作ってしまうと確かに興行的には厳しい数字が出る。プロデューサーは責任上、言わざるをえない、そういう状況ですよね、今は。

<font color="#008888"><b>進行</b></font>：『一万年、後....。』と『狂気の海』には隠れた共通点があります。『狂気の海』は映画美学校のカリキュラムの一環として学生と製作された短編映画ですが、『一万年、後....。』も当初はプロのスタッフとではなく沖島さんの教え子である熊本の学生さん達と短編で作ろうとしたと聞いています。
今の学生さんの年代は沖島さんや高橋さんとは全く別の映画体験をしてきただろうし、もしかしたらかつてオーラのあった映画というものを全く知らないこともありえると思いますが、そういったジャンル映画やプログラム・ピクチャーの衰退の後で育ってきた人達についてはどうお考えですか？

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：僕らも高尚なことを目指して映画を観てきた訳ではなく、当たり前のようにTVをつけてやっているものや、映画館で上映されているものを観ていたんですよ。今の若い人たちも同じだと思うけど、育った時代というのはやはり違う。人間は環境を選んで生まれてこれないし、その環境のなかでアイデンティファイしていくしかないというのは絶対的な真理ですよね。だから、それを否定する訳にはいかないっていうのはあるんですよ。結局、我々は自分が観てきたもので物を考えるしかない訳だから、それを糧にして物を疑っていくしかないですよね。今の２０代の子達は８０年代生まれですから、僕らからしたらもの凄く文化が衰退した時期のね（笑）…どうしてもそういう予断をもってしまうんだけれど、それでも、きっと、もの凄く強く何かに反応して、そこから自分の懐を広げている人はいるんだろうなって思っています。そういう人は自分が昔観たものに立ち返っても、ただ単にマニアックにものを知っているだけではなくて、批評の眼というか、表現が生まれて来る時のダイナミックな感覚をもっていると思います。そこに賭けるしかないというか、意識的にお勉強しなさいって言っても、それは無理だという気がします。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：今の映画美学校の人達やCO2（シアニスト・オーガニゼーション・大阪エキシビション）に応募してくる人達の作品を観て感じるのは、僕があの年代の頃って本当に経済みたいなものにも疎くって、映画に関しても自分は監督になるんだからお金のことなんか関係ないっていうような状態でした。まぁボーッとしていたというか…。学生映画を作っていると、どうしても資金の問題が出てくるんだけど、当時の僕らには何の戦略がある訳でもないし、ある意味でお坊ちゃんだったんだよね。今の若い人の作品を観ると低予算の中で映画を作る計算ができていて、その点すごく実践的だな、って思います。予算に見合ったような内容の作品を考えたり作ったりするんだよね。ああいう現実感覚ってボーッとしていた僕らの頃には全然なくて、それと比べると随分時代は変わったな、と思いますね。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：したたかな人はいますよね。自主映画をやっていて思ったのは、自主映画って成熟しないことの自由、なんだろうなと。勿論、成熟していない訳ですから、自由どころか単なる稚拙に陥る危険があるし、実際、自主映画のほとんどはそういうものですけれど、それでも自由はあったと思うんですね。自主映画出身の人達も（商業）映画業界に増えてきていますが、一方でそういった人達の中には常に「器用」な人達がいるんですよ。自主映画時代から器用な人はいた訳ですが、どうも器用さを成熟することと取り違えて大きくなってしまった人達が今の作り手の多くなのではないか。そう考えると暗澹たる気分になります。本当は成熟しないことの自由を体験した人こそが成熟していかなければならないし、本物の技術は成熟に裏付けられていると思うんです。早熟というか、早い段階で器用であった人達は、成熟という言葉を本当の意味で分からないままに世の中を渡っていけてしまうので、その器用さを発揮して観客をコントロールするっていう方向に行く感じがしますね。巧みにネタを振っていって、如何に観客に感情移入させるか…そういう作り方が正しいのだ、っていう考えが蔓延してしまう。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：器用っていうと例えばどういう感じなの？

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：最近の若い人の映画を観ていて感じるのは、作り方がいたってクレバーということですね。自分がコントロールしきれる範囲を分かっていて、その範囲内で話を作って芝居の幅も決めているんです。そこからはみ出すことをやろうとするとコントロールしきれないし、観客もおそらくそこには乗らないっていうことを冷静に計算してやっているように見えるんです。そうすると、あるクオリティのものはできるし、きちんと評価もついてくるし、無理をしない形でキャリアを重ねていって、だんだん大きい作品を撮れる立場を作っていくことができる。そういうことは、作り手であれば誰もがある程度は考えなきゃいけない、身につまされることではあるんだけど、芝居の幅が狭いっていうこと自体は観ていてとても気になります。
　コントロールする範囲というのは予算の問題もあるでしょうけど、むしろ芝居に関する事柄で、たとえば台詞でいうと、脚本で生身の人間が自然体で発声できる台詞しか書かないってことです。『一万年、後....。』も『狂気の海』も生身の人間が言えっこないことを書いているんですよね。でも、映画の台詞、芝居ってそういうものだったんじゃないかと。生身の人間が決して言わないようなことを俳優が言った瞬間にある種世界は崩壊の危機に瀕する、そういう意味で大変な作業に挑戦するということにならざるをえない。芝居の範囲を狭くする映画っていうのはそういう危機を回避したところである品質を守るし、観客にとっては理解しやすい映画になるっていう。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：僕らだって、全くコントロールをしきれないものを役者に言わせたり、演じさせたりしているかどうかは分からないけど、ある程度コントロールさせないと演出ができないので、撮るほうでなんとか成立させている訳です。それは、他人様と分かり合えることを前提にしている映画とは違うと思います。
　僕は『狂気の海』は役者が非常に良いと思って観ていたのね。中原翔子さんは是非僕の映画にも出て欲しいと思ったし、田口トモロヲさんの毒にも薬にもならない存在感っていうのは成功していると思う。僕だったら、もっと喜劇っぽく演じさせてしまうところを、良く抑えて演出していると思いました。抑制がきいているが故に、中原さんが演じる首相夫人に秘めたる色気みたいなものが出てきている。まぁ、浦井崇は相変わらずだったけど（笑）。

（３）につづく]]>
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   <title>沖島勲 X 高橋洋 対談 （３）</title>
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   <published>2008-07-31T18:04:02Z</published>
   <updated>2008-07-20T20:59:34Z</updated>
   
   <summary> ■演出 高橋：沖島さんはシナリオを書くときにどういう風に俳優が台詞を言うのかト...</summary>
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      <name>管理人</name>
      
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         <category term="狂気文書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[<a href="http://www.kyoukinoumi.com/okishima1.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/okishima1.html','popup','width=1408,height=948,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/okishima1-thumb.jpg" width="320" height="215" alt="" /></a>

<font size="4"><b><font color="#008888">■</font>演出</b></font>

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：沖島さんはシナリオを書くときにどういう風に俳優が台詞を言うのかトーンやリズムについて脚本の段階で決めていますか。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：うん。僕はシナリオを書くときが勝負だね。そのときにカット割りとか一応頭の中で大まかに決めて、シナリオを書いています。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：そのやり方だとホン読みだとか、リハーサルだとか、現場でいざ撮影という段階になって、俳優さんの台詞の発し方に違和感があったりしませんか。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：ほとんどないですね。そういうことがあるのは、何十回に一回くらいです。
]]>
      <![CDATA[<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：僕は脚本家として、他人のために脚本を書くことが多いので、今まで脚本を書くときには台詞をどういうトーンで言うかとか、その人物がどこを見て台詞を言うのか、相手の視線をはずすのか、全然違う中空を見て言うのかといったことを、自分の中で成立させないと駄目だったんです。つまり、実際に芝居＝台詞として言えるのかどうか、納品チェックじゃないけど自分の身体を通してチェックしてから脚本を監督に渡す、と。台詞が芝居として成立するかどうか試す作業をすると必然的にトーンやリズムを考えざるをえなかったんです。ただ今回は自分が監督するので、初めてどういうトーンで話すか考えないで台詞を書いてみました。本当にこんなの俳優さんが言えるのかな、って恐怖と不安の中で一回やってみようと思ったんです。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：それは俳優さんが勘のいい人でないと大変だよね。例えば『YYK論争』でも二日間くらいリハーサルをやったんだけれど、頼朝役の俳優さんが何を考えてこの演技をやっているのか分からないようなミスマッチな演技をしたんで、これはとにかく違いますよ、と彼に言ったんです。そしたら二日目にころっと演技を変えてきて、それがぴたっと合う。本読みで言えば『一万年、後....。』は母親が出てくるところだけを阿藤さんと洞口依子さんと二人で一回だけやらせた訳だけれど、洞口さんははっきりいって違うわけ。どう違うかというと、彼女はスクリーンに映るお母さんを幽霊の一種だと考えて、その背景を台詞の中に込めていたんですよ。すると凄く恐いお母さんになるんです（笑）。もちろん、（母親は既に死んでいるということが）背景にあるんだけど、表面に出てくるのは可愛い息子を思う気持ちや親として子を叱ったりするということなんです。ただ、本読みのときには何も洞口さんに言いませんでした。それで、本番の直前の５分か１０分くらいの間に僕がその意図を説明したら、彼女も「分かりました」と言って、本番では淡々とお母さんの息子に対する日常的な振る舞い方で演じてくれました。ここが勘の悪い人だとどうしようもないところはあるね。『YYK論争』ではプロデューサー役の役者にゴダールの『軽蔑』を事前に見てもらったんです。あのジャック・パランスのどこか狂っている感じが出ていれば表面はどんな演じ方をしても構わないからってことで。それで、撮影前にやらせてみたらテストの度に違ったパターンで演技するの。これでは撮りようがないってことで、芝居を決めろ、と皆の前で怒鳴りました、彼には悪いけど。時にはそういうこともありました。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：あ、僕も長宗我部（陽子）さんには、『ファイナル・オプション』のジュディ・デイビスを観せたな。そしたら同じようには出来ないけど、ノリは分かりましたと言われて。僕の場合はメインの三人（中原、田口、長宗我部）のキャスティングが望んだ通りにできたんで、幸運でしたね。前もって台詞のトーンを決めなかったのは、以前に万田邦敏さんの自主映画に役者で出演することになって、万田さんが書いたシナリオを読んだら、これはいつもと違うって明らかに分かるんですよ。これって自分の身体を通して書いていない台詞だって。万田さんに「今回いつもと違いますよね」と言ったら「あ、分かった？今回は内容本位でリズムを決めずに書きました」って言うんですよ。要するにあなたがどう言うか見たいんだ、と言われて、仕方がないから長い台詞を身体に入れてやってみた。そしたら確かに自分なりに作っていくリズムがあるんだよね。それでこういうことが俳優さんの中で起こりうるんだ、って分かって、ちょっと勇気がいるけど『狂気の海』でやってみよう、と。実際、田口さんや中原さん、長宗我部さんが喋り出すと、自分では考えつかないような話し方をするんですよ。その中で微調整をしていく。例えば、田口さんなりにキャラクターを解釈してコメディ的にやろうとしている時もあるし、抑えるときもあるから、ここは抑えるほうでいきましょうとこちらから言ったりする訳です。結果的には非常に指示が細かい監督のように端からは見えてしまったらしいんですけど（笑）。決めずにやるっていう自由の中で、自分はヒヤヒヤだったんだけど、そのヒヤヒヤが俳優さんにも負担をかけちゃったんでしょうね。
　息を吐いたりするところでうるさいことを言っちゃったんですよね。それは最近の俳優さんに見られる傾向で、台詞を言うときに息を吐いて間をつくるみたいな…僕は昔の役者さんのパキッと言い切る台詞が好きなんで、そこはこだわってしまいました。今の全体の傾向として息を吐いてある種の間合いを作るというのはありますね。

<font color="#008888"><b>進行</b></font>：浦井崇や松村浩行といった素人の出演者が高橋さんの監督作『アメリカ刑事』『ソドムの市』に引き続いて『狂気の海』にも出演していますが、こういった素人の演技とプロの演技を混在させていくのはどうだったのでしょうか。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：プロフェッショナルな俳優さんに関しては動けるし、台詞も言えるのでちょっとトーンが違ったり、ニュアンスが違ったときに言うだけですが、浦井たちのことは全く信じていないので（笑）、従来通りのどういうトーンで言うかかっちり決めました。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：浦井の固まった芝居っていうの？なんで固まっているのか分からないにしても（笑）、あれはその人の持っている存在感が出ていていいと思ったよ。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：何なんでしょうかね。基本的に硬い芝居が好きなんですね、僕は。きっと嫌だったらキャスティングしないはずなので、僕はああいう人がいてくれないと落ち着かないんでしょうね。

—沖島さんも別のインタビューでプロは素人っぽく、素人は何とか形になるように演出すると言っていますが。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：今回、阿藤さんをキャスティングしたっていうのもそうだよね。あの人は役者臭が薄い人だから。例えば、大杉蓮さんであれ、柄本明さんだってあの役は演じられる訳だけど、その人が役者として築いてきた個性が漂ってしまうと思うんです。阿藤さんは意外にそういったものが漂わない希有な人で、俳優として役を演じきっているというよりも、どこか舞台というかライブを見ているような感触があるんです。妙に役者臭かったり、新劇っぽさ、アングラ演劇っぽさっていうのがない良さがあってね。母親が出て来て驚くところとか、胸をなでおろすとか、いわゆる定番の演技とでもいうような、かなり狂言廻し的な演技を阿藤さんはしているけれども、そういうことも含めて僕はあの感じが好きなんです。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：一万年前に生きていた人が生々しく登場した訳ではないんですよね。阿藤さんが演じるとその生々しさを捨象された人が出て来たという感じがするんです。（阿藤さん以外の人では）その役者さんの周りにその人が生きている時空が現れてしまうかもしれませんね。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：映画俳優は個性をある程度売りにしないといけない訳だし、そういう人達がいい役者さんと言われている訳で。一方で阿藤さんは中心が旅番組だからね、その良さが出たと思う。あっちゃん（足立正生）なんかも「沖島が演じているみたいで笑っちゃったよ」って言っていたけど、そういう気楽さがいいんだよ。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：少年が「コヤズミは小屋にでも住んでいたんですか」って聞いたときに、阿藤さんが「そいつは知らねえな」って言うときの芝居とかが実に面白いです。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：本当はあれはやっちゃいけないことに抵触しちゃうところなんです。若松（孝二）さんなんかはああいう演技を「内輪受け」といって嫌うんです。つまり、撮っているほうだけで分かっている可笑しさというか、突然役をはみ出て外側に繋がってしまう箇所なのね。だけどね、欲しくなるのよ、やっていると。例えば『したくて、したくて、たまらない、女。』で室田日出男さんが「俺、なんでこんないい目にあわなきゃいけないの」と、役について自己言及しちゃう。『出張』でもゲリラのリーダー役の原田芳雄さんが捕虜になったサラリーマン役の石橋蓮司をつつくところがあるんです。それが如何にも２人が友達だからつついたって感じがあって、役を超えちゃったところがあるんだよ。若松さんなんかはどうしてああいうことをやらせるんだ、って言ったんだけど、僕はそういうところがちょっとくらいあるのが好きなんだね。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：あの演技は阿藤さんが演じるキャラクターの一貫性みたいなものがそこで寸断されてね、阿藤さんなりに作っているキャラクターの外にはみ出ちゃったような気がしたんですね。そういうのを観ると、キャラクターなんて一貫性がなくてもいいんだよ、って思うんです。

<font color="#008888"><b>進行</b></font>：沖島さんの作劇に見受けられる寸断だったり、錯綜していくところなどは、高橋さんも『YYK論争』をシネ・エッセイのような形式ととらえたりして、非常に関心をお持ちのようですが、その辺りはいかがでしょうか。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：『一万年、後....。』のシナリオでも印刷台本にも当初は松川新さんが出てくる怪人のくだりだとか、村に流れる警報のシーンとかもなかったの。この新たに書き加えたシーンをボンボンって当初の脚本に強引に突っ込んでいるんです。印刷台本にはないから、コピーでみんなに渡してね。
　僕の映画にずっと出ている松川さんに関してはどこかで出してあげないと機嫌が悪くなるだろうなってことで。そういう意味では映画ってデタラメだよね（笑）。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：僕が書くものは、やっぱり娯楽映画の骨格がどうしても強く出てしまうので、作劇が直線的なんですね。縦軸があって、それに沿って物語がどんどん進んでいく。『YYK論争』を見て思ったのは、映画はシネ・エッセイのようにいろんな断章があって、そこに色んな思いが入り込めるんだ、と。
　僕の作劇は直線なんだけれど、理に落ちないというか、ちゃんとジャンプしているみたいにしたいと思っているんです。その一方で沖島さんのようにランダムにポコッポコッと話が入ってくる感じは憧れるんですよね。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：これといったセオリーがないですからね。失敗すると目も当てられないですからねぇ。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：僕のように直線的な要素が強い人間がそれをやると、単に困ったから話題を変えたって見られてしまう（笑）。

（４）につづく]]>
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   <title>沖島勲 X 高橋洋 対談 （４）</title>
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   <published>2008-07-31T18:04:01Z</published>
   <updated>2008-07-20T20:59:34Z</updated>
   
   <summary> ■映画と外側の世界 進行：『狂気の海』では憲法九条が題材として扱われています。...</summary>
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<font size="4"><b><font color="#008888">■</font>映画と外側の世界</b></font>

<font color="#008888"><b>進行</b></font>：『狂気の海』では憲法九条が題材として扱われています。高橋さんは『アメリカ刑事』でも9.11に関するチョムスキーの著作を映画の中で撃ち抜いたりしています。一方で『一万年、後....。』でも小泉純一郎や郵政民営化といった時事ネタが出てきますが、こういった映画に出てくる政治的な事柄についてどうお考えでしょうか。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：『狂気の海』は憲法九条の話がなかったら全然面白くないですよ。憲法九条が語られて、日本列島が沈む、それくらいの構えでいかないと大嘘を語る面白さっていうのが出て来ないと思う。それに核爆弾がアメリカに発射されるとか、日本憲法のことを映画でどうしてやっちゃいけないのか。これは重要な話だよね。例えば『一万年、後....。』でも文化庁の助成の選考から漏れた訳だけれど、映画の中で小泉純一郎を名指しで出さなければ結果は違ったかもしれない。あくまで推測だけどね。それでも、僕は絶対にそこを消さない訳。重要ですよ、思ったことをちゃんと言うってことは。それをびびっているんだったらさ、なんで映画なんか作っているんだって話になるよ。『YYK論争』でもNHKとか司馬遼太郎といった固有名詞を出しています。これは映画の中の世界を僕らが生きている現実に引き戻すというところもあるし、とにかく思ったことは言わなきゃいけない。『狂気の海』も安倍晋三をモデルにしたキャラクターが出て来なかったら、面白さが全くなくなると思いますよ。作るほうもドキドキしながら作らざるえない中でやるんだっていうね。]]>
      <![CDATA[<font color="#008888"><b>進行</b></font>：沖島さんが監督のキャリアを始めた1960年代後半辺りには、いわゆる政治的な映画が多くあったと思いますが。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：当時は政治状況に不平不満を言ったり、反抗する映画ばっかりだったからね。ただね、その人達が映画でもって名指しで政府を批判する場面が撮れたかっていうと意外に撮れないじゃん。そこはこの問題の非常に微妙なところで重要です。

<font color="#008888"><b>進行</b></font>：憲法九条に関してどう考えるかと聞かれたら、僕の個人的な立場としては改悪反対なんですが、どうもその答え方に政治的な枠組みを超えられないという忸怩たる気持ちもあります。一市民としては平和であったり、社会を良くしていかなければいけないと考えていますし、実際、そう言うことが必要な場面はあると思います。一方で人間は全員地獄に堕ちろと言うと不謹慎かもしませんが、動物や地球にしてみればそのほうが遥かに良いことだと言えるのではないか、と。人間としての政治的な枠組みで物を言う場合と世界の論理は別だと思うのですが、『狂気の海』にしろ、『一万年、後....。』にしろ人間の政治的な枠組みを超えたことをやろうとしているのではないか、と。その辺りはいかがでしょうか。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：つまり、新聞の文化欄で文学者が言わなければいけないような時代を語るとか社会を批判するとか、物を表現する人がそういう役割を負わされる時に陥ってしまう形式ってあるよね。仕方がないから発言しているのが新聞の文化欄だと思うんだけど、そういう言葉の形式が嫌で、そうじゃないけどちゃんと語れるっていうことを僕はやりたいんですよ。そうするとああなる。『狂気の海』は文学が背負わされている社会的な役割を映画ははっきり拒否する、そういった表明なんです。

<font color="#008888"><b>進行</b></font>：新聞の文化欄が嫌だっていうのは何故？

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：気の毒な感じがするんですよ。あらかじめモノを言う形式が決められちゃってるような。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：新聞の文化欄なんかでは一社会人として発言せざるえない訳で、映画の世界でそれをやっちゃあさ。憲法九条をなくせにせよ、必要だという立場にせよ、本当に色んな疑問ってある訳じゃない。『狂気の海』では普通の国っていう言葉が映画の中でも効いていたと思ったね。普通の国っていうのは戦争をやるってことだ、と。じゃあ普通の国として戦争をやろうよって言われたら、いきなり驚いてしまうような一種の平和ボケがあった上での議論がある訳じゃない。本当に戦争やるとなったときにびっくりするような国じゃあさ、何のための普通の国か分からない訳。そのことを新聞の文化欄では言えない訳でしょ。映画でせめてそのくらいのことは言わないとさ。

<font color="#008888"><b>進行</b></font>：嫌だと思いますが、何かの間違いで憲法九条について新聞の文化欄で発言しないといけないとしたらどうしますか？

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：映画で言っていることに近いことを言うんじゃないですか。だって憲法九条がもはや宗教になっちゃっているようなものですよね。あなたがたは宗教を持つのか持たないのか、その選択であって、そこであなたたちはどうするんですか、と。僕は宗教にしてしまうことに反対だと。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：僕は今の段階では戦争放棄というのは残したほうが良いと思っているけど、それは宗教というよりは願望だよね。戦争をやめるっていう。願望は願望だし、実際に戦争が起ってしまったら、また何が始まるか分からない訳だから。そこの落差、「普通の国」的な一つのちゃんと人格をもった国家として考えていくよりも、この願望みたいなものを片方に置くのは面白いと思っているけれど、いずれにせよ、高橋さんがあの映画で言っていることは、全く無意味な発言じゃないと思っているの。やはり宗教というか、平和惚けちゃっているところに絶えず打撃を与えてみるっていうのは必要なんじゃないですか。高橋さんが別のインタビューで言っているようにまさに戦争っていうのはモラルとは全く別の動機で起ってしまう。このことはもの凄く重要だよね。

<font color="#008888"><b>進行</b></font>：中原翔子さんが演じる首相夫人も言っていることはかなりやばいと思う人も多いでしょうが、彼女なりに理屈は通っていますよね。こういったある種の論理を映画の中に据えたときに、それが勝手に働きだす力学のようなものに高橋さんは惹かれているのではないか、と思うのですが。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：それはありますよ。一種の原理主義のやばさっていうのは自分の中にあるだろうし、中原さんはそれを演じてくれたと思います。ああいう台詞は中原さんじゃないと言えないし。そういうロジックが素晴らしいと喧伝するつもりは全くないし、むしろとても恐ろしいものなんですけど、恐ろしいものって現実にあるんだよね、っていう。それは自分の中にもありますよ、ということは正直に言うってことですよね。

<font color="#008888"><b>進行</b></font>：別のインタビューで沖島さんは『ニュー・ジャック＆ヴェティ』の作劇について「何かひとつ始まったら、ガタガタと進んでいって行き着くところまで止めようもないドラマのエネルギーが端緒にあった」と言っていますよね。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：僕はもう『ニュー・ジャック＆ヴェティ』のようなものをやりたいとは思っていないけれど、原理主義に関して言うと、人間が追い詰められてしまえば、そうなってしまうものじゃないの。圧倒的な力がどこかから働いて、追い詰められた自分が無力でしかないという状況になったら、命がけで何かやらなきゃいけないって考えるだろうし、原理でもでっちあげでもいいから、それを信じ込んでやるしかないってことになり得ますよね。実際にそこまで追い込まれたら大変だよ。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：『ニュー・ジャック＆ヴェティ』のところで語られていたことって凄く良く分かりますね。最初から細かいことが見えているんじゃなくて、あるのようなもの映画を動かしていくってことがあるんだよなって。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：地球環境の問題なんか見ていると、そういう感じってあるよね。もう結果が出始めたときは遅いっていうかさ。それまでは原因が潜伏している訳じゃん。もう溜まりに溜まったのがいよいよ表面化したときには、人間の手で押さえるってことができないっていう一種の物理の法則みたいな感じでさ。TV番組でも視聴率が落ち始めたときはそうよ。小手先で何か対策を講じても全く修復なんてできない。もの凄い数の視聴者っていう人達が良く分からない法則でついたり離れたりする感覚っていうのは「まんが日本昔ばなし」が終わったときに実感しました。今までプラスに働いていたものが逆転していくって正体は全く分からない。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：そう、正体は分からないんですよね…。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：正体の分からなさっていうことが『狂気の海』には良く出ていると思います。こういう映画が今の時代に出てくるのは面白いと思うね。これも正体の分からない何かを作り手が持っているかどうかが全てだと思う。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：こういう考え方って基本的に自分の中にあるから変更しようがないのですが、これから商業映画もやっていかなきゃいけないときにも、自分の身体がいわゆる商業映画を拒否しているので…どうしたものかって（苦笑）。そこで今、僕も苦闘中です。


<font size="4"><b><font color="#008888">■</font>痕跡としての映画</b></font>

<font color="#008888"><b>進行</b></font>：『狂気の海』のラストカットは誰も見ることのできない崩落した石像のショットで終わっていますし、何か正体の分からないもの、人間とは別の視点から映画を作っている気がします。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：元々映画ってそういうものだったんじゃないか。お客さんの気持ちを乗せるって考え出したときから、お客さんと同じ平場に立って作るということを強いられてしまって、それが映画のパワーを削いでいるんじゃないか、と。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：なるべく平均的に誰にでも受け入れられる物を作ることを商品には求められるでしょう。ただもっと馬鹿馬鹿しいと思っているのが、誰もがそうしろって言っていないのに自らそうしてしまうマインド・コントロールみたいなものがあること。例えば、ハリウッド映画であったりする訳だけどまったくスケールが違う訳。グローバルな植民地に流していくハリウッド映画に比べて、『一万年、後....。』は何千人の人達に観てもらったらみたいな小さいところでやっている訳。その大きさの違いを無視して、小さいハリウッド映画を作ろうとするくらい馬鹿馬鹿しいことはないんだよね。興行の面でも、映画の情報を各媒体にのっけて覆っていこうとするよりも、町中で歩いている人の手を実際に引っ張ってきたほうが早いっていう映画だってある訳じゃない。それでも、形としては似たようなことをやってしまう。お金を費やして試写をやったり、メディアに働きかけたり、一応恰好だけは踏襲する。それが一番愚かしいことだよね。だけど我々自身が非常に陥りやすいことでもある。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：今まで映画を観てきたことの力って、物を疑うことなんですよ。普通はこうやるよね、っていう意見に対して如何に抗うか、そこだと思います。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：僕にはもう映画って「普通こうやる」とか「元々こうだ」って考えもないの。もう元々がない。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：「元々」というと元にある何かが基準になってしまうから、物を疑うということはそうじゃない、目の前にある物を疑って一からやり方を見つけていくしかないんだということですね。何かを参照するというのは、かつて成立したものを再現することでしかなくて、劣化コピーになってしまうと思うんです。そうではなくて今あるもの、既存のやり方を全部疑って作っていくということでないとパワーは出ないんだろうな、と思いますね。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：もう僕には疑いすらない（笑）。とにかく、自分が映画って言われるものを使って、まだやりたいことがあるなら、それをやるだけだ…そこまで来ちゃっている感じです。映画を破壊していくことの面白みすらなくなっている。そんなことを優雅に楽しむような余裕もないし。今、準備している次作の『モノローグ』という映画は自分の小学生のことを描いているんだけど、これだけは言わないと済まないって思っています。我々もあの世に消えてなくなっちゃう訳なんだからさ、このぐらいのことはせめて言わせてくれよ、みたいなさ（笑）。それだけの想いだもんね。何も言わないで死ぬ訳にはいかないよっていうさ。映画なんて絵画や俳句に比べて歴史も浅いし、１００年ちょっとで消えてしまってもおかしくない程度のもんだと思うしさ、映画がなくなるのもしょうがないと思っている。だけど自分の得意技って映画しかないんだよ。自分が人前に出せる芸っていうの？…だから、これでやるしかないと思う。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：そうだなぁ…「元々がない」ではなくて、「疑うこともない」って凄いですよね。僕は何かを作ろうとしたときに「普通はこうだよね」って力が向こうからやってきて、「いやそうじゃない」って言っている内に何か見えてくるって感じがしますからね。そういう点ではまだまだ僕のほうが楽天的なんですね。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：高橋さんは楽天的というか、まだまだ僕ほど疲れてないとでもいうか。まだこれからの人ですから。僕なんかある程度の見切りをつけていかない駄目だってことじゃないかな。そうはいっても僕が身につけてきたのは映画しかないから、そういう意味では職人的っていうのは貴重だと思うし、好きなんだよね。僕は手工業的、家内工業的なやり方が映画に一番ぴったりきていると思う。大きくなりすぎたらダメなんだ。家内工業的に職人的に技を発揮してやっていくのが一番正しいんじゃないかって思う。小さい規模とはいえ、そこには芸や職人としての誇りっていうのはあるはずなんですよ。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：沖島さんは、確か映画がエンターテイメント、アトラクションとしての役割を終えるんじゃないかって言っていましたよね。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：まぁ、僕が終わったと言っても、映画はずるずると１００年も２００年も続くかもしれないけど、僕も映画を志してから５０年って長い訳だよね。やっぱり映画が見世物としての輝きを持っていた時代も知っているし、自分がそういうものに憧れてきたことから言っても、映画は衰退したっていうさ、そんな気持ちなんだよ。今は映画を作って観せるほうも困っているじゃない？何やっても驚いてもらえない、喜んでもらえない、ますます軽薄なことを過激にやるしかないっていう。だから見世物としての寿命もそろそろ耐用年数が終わりつつあるんじゃないの。今、映画に何が残っているのかというとそれこそ影？映画って幻だよね。そういうものとして、自分と絡んでいけるものを探すしかない。やっぱり、本当に思っていることが奇跡のように目の前に現れてくるときって僕の場合は映画なんだよ。役者やスタッフの力を借りたりしてね。僕の場合は、その喜びって映画でしかやれないんです。それは孤独の快感なんだけどさ。それを知らない人ばっかりになってしまったら、完全に終わりになるんじゃない。今、大変な数の映像が宇宙まで飛び交っている訳だけど、僕らみたいにそういう孤独な喜びを知っている人間が本当に映画というものをまだ生き延びさせている。これがいなくなって映画が単に技術とアトラクションになったらね、屋台骨がなくなるよ。もう色んなメディア（TV、新聞）がさ、そういう傾向を帯び始めているよね。新聞だってさ、学校の先生だってさ、自分の職業を維持するために物を言っている、大きな展望も志もなくてさ。それが露骨に見えてしまうっていうさ。
　映画は影だと覚悟して作っていく、そういう意味での宣言に『一万年、後....。』はなっている。人間が観ていないところでも発信することはあるよ、と。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：僕という人間の執着なのかもしれませんけど、今の話を聞いて非常に良く分かったのは、子供の頃感じたヴァイブレーションってあるんですよね。こういう人間がかつていた、こういうヴァイブレーションの感じ方があったということを形として残さないと死にきれないという。

<font color="#008888"><b>進行</b></font>：高橋さんがそういう願望を持っていたのは意外ですね。

<font color="#0000ff"><b>沖島</b></font>：高橋さんはそればっかりですよ。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：僕なんか煩悩の固まりですよ。トラウマだなんだって色んなところで言っているのも全部そういうことですよ、結局。だから、自分がやっていることを阿藤さんに言われているんだよね。ああいう訳は分からないけど電波の海からふっとやってきて何か痕跡を残すのかもしれないという…永遠に生きる吸血鬼の思想というのがあるんだよ、きっと。それは無理なことなんだけど、ずっと考えているんだよね。よく幽霊に対するツッコミで、「誰も見ていない荒野にも幽霊は出るの？」っていうのがあるんだけど、僕は「出る」って言いたいんですね。今の話を聞いてとてもよく判った。それが『一万年、後....。』だったんですね。少年たちはたまたまいてくれたのであって。

<font color="#008888"><b>進行</b></font>：今の映画をとりまく状況がどうかと言うどころか…何か得体の知れない痕跡を残すという…。

<font color="#bb0000"><b>高橋</b></font>：そうなんだよね、吸血鬼の考え方なんだ…これは。


（<font color="#008888"><b>進行・構成</b></font>：山川宗則）]]>
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   <title>グラインドハウス上映：『一万年、後・・・・。』</title>
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   <published>2008-07-31T16:00:11Z</published>
   <updated>2008-07-20T20:53:35Z</updated>
   
   <summary>『一万年、後・・・・。』 2007年／77分／YYKプロダクション製作／HD撮影...</summary>
   <author>
      <name>管理人</name>
      
   </author>
         <category term="カップリング作品情報" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="グラインドハウス上映" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kyoukinoumi.com/">
      <![CDATA[<strong>『一万年、後・・・・。』</strong>
2007年／77分／YYKプロダクション製作／HD撮影

<a href="http://www.kyoukinoumi.com/1mannen.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/1mannen.html','popup','width=640,height=360,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/1mannen-thumb.jpg" width="320" height="180" alt="" /></a>

監督/脚本: 沖島 勲 　プロデューサー: 山川 宗則
撮影: 芦澤 明子 　照明: 石塚 誠 　録音: 鈴木 昭彦 　美術: 黒川 通利
助監督: 李 潤午 　記録: 佐野 久仁子 　編集: 近藤 聖治 　VFX: 佐藤 敦紀

男: 阿藤　快　　母親: 洞口　依子
正一: 田村　勇馬　　淳子: 遠藤　恵里奈
三ツ目の怪人: 松川　新　　男の少年時代: 下杉　一元

詳しくは、下記HPにてご確認ください。
<a href="http://1mannengo.hibarimusic.com" target="_blank"><strong>『一万年、後・・・・。』公式HP</strong></a>]]>
      <![CDATA[<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=cineguerilla-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B0007PIOK6&fc1=EEEEEE&IS1=1&lt1=_blank&lc1=BB0000&bc1=000000&bg1=202020&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=cineguerilla-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000BD8896&fc1=EEEEEE&IS1=1&lt1=_blank&lc1=BB0000&bc1=000000&bg1=202020&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=cineguerilla-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000TC7NQ8&fc1=EEEEEE&IS1=1&lt1=_blank&lc1=BB0000&bc1=000000&bg1=202020&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=cineguerilla-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000FZDOUI&fc1=EEEEEE&IS1=1&lt1=_blank&lc1=BB0000&bc1=000000&bg1=202020&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>]]>
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   <title>『狂気の海』＋『一万年、後・・・・。』 at 名古屋シネマテーク</title>
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   <published>2008-07-31T15:28:20Z</published>
   <updated>2008-08-06T01:26:27Z</updated>
   
   <summary></summary>
   <author>
      <name>管理人</name>
      
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         <category term="グラインドハウス上映" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="公開情報" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="日程" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[二度あることは三度ある、グラインドハウス上映第三弾！！
２００８年７月２６日（土）～８月１日（金）（いずれも２０時～） at 名古屋シネマテーク

大阪プラネット＋１、広島横川シネマと、好評のうちにお送りした、
『狂気の海』＋『一万年、後・・・・。』（沖島勲監督作）とのカップリング上映ですが、
まさかの第三が、名古屋シネマテークにて決定しました。

詳しくは下記、名古屋シネマテークHPにてご確認ください。

<a href="http://cineaste.jp/" target="_blank"><strong>名古屋シネマテーク</strong></a>

<a href="http://1mannengo.hibarimusic.com" target="_blank"><strong>『一万年、後・・・・。』公式HP</strong></a>]]>
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   <title>名古屋初日満員盛況！</title>
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   <published>2008-07-28T10:28:24Z</published>
   <updated>2008-07-28T11:00:47Z</updated>
   
   <summary> 　７月２６日の名古屋初日は、『一万年、後‥‥。』の沖島勲監督と、中原翔子さん、...</summary>
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      <name>狂気の人々</name>
      
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      <![CDATA[<a href="http://www.kyoukinoumi.com/ngy080726a.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/ngy080726a.html','popup','width=480,height=640,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/ngy080726a-thumb.jpg" width="360" height="480" alt="" /></a>
<a href="http://www.kyoukinoumi.com/ngy080726b.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/ngy080726b.html','popup','width=640,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/ngy080726b-thumb.jpg" width="360" height="270" alt="" /></a>

　７月２６日の名古屋初日は、『一万年、後‥‥。』の沖島勲監督と、中原翔子さん、高橋洋監督、そして飛び入りで名古屋出身、総理秘書官役の上馬場健弘君が舞台挨拶。
　場内はおかげさまで満員。ホッとしました。
　上の写真は、『狂気の海』上映後の中原さんと高橋監督のトーク、というか、観客のみなさんとの質疑応答の模様。
　「何であの神官ははじめから浮き輪を持っていたのか？」「ダーリンと呼ぶのは何故？」「田口トモロヲさんのキャスティングを思いついたのは？」等々、客席から切れ目なく飛び出す質問の数々で、劇場が一つになったような爆笑トークとなりました。
　初日に駆けつけてくれたみなさま、ありがとうございました。
　上映は８月１日まで。どうか、よろしくお願いします。]]>
      
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   <title>明日、名古屋初日！</title>
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   <published>2008-07-25T08:13:09Z</published>
   <updated>2008-07-25T08:23:55Z</updated>
   
   <summary> 　『狂気の海』＋『一万年、後‥‥。』カップリング・レイトショー、明日７月２６日...</summary>
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      <name>狂気の人々</name>
      
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      <![CDATA[<a href="http://www.kyoukinoumi.com/SEAofMADNESS_11.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/SEAofMADNESS_11.html','popup','width=720,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/SEAofMADNESS_1-thumb.jpg" width="480" height="320" alt="" /></a>

　『狂気の海』＋『一万年、後‥‥。』カップリング・レイトショー、明日７月２６日が名古屋初日です。名古屋シネマテークにて２０時より。
　上映前に、沖島勲監督、中原翔子さん、高橋洋監督の舞台挨拶があります。
　『狂気の海』上映後も、観客の皆さんと、中原さん、高橋監督で質疑応答があります。
　名古屋のみなさま、どうかよろしくお願いします。]]>
      
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   <title>TOCHKA満員御礼！</title>
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   <published>2008-07-21T14:28:44Z</published>
   <updated>2008-07-21T14:37:53Z</updated>
   
   <summary>『YES MAN/NO MAN/MORE YES MAN』の松村浩行監督の最新作...</summary>
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      <name>管理人</name>
      
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      『YES MAN/NO MAN/MORE YES MAN』の松村浩行監督の最新作『TOCHKA』の先日のユーロスペースでの上映に来ていただいたたくさんの皆さん、どうもありがとうございました。
もし、感想などございましたら、こちらの方にでも、書き込んでいただけたら幸いです。
また、一日だけの上映という事で、ご覧いただけなかった方もたくさんおいでかと思います。
現在、一般公開に向けて活動中との事なので、詳細が決まり次第、こちらで報告いたしますので、その時はよろしくお願いします。
      
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   <title>おお、キネ旬が！</title>
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   <published>2008-07-20T14:48:26Z</published>
   <updated>2008-07-21T14:27:49Z</updated>
   
   <summary> 　今出ているキネマ旬報最新号（７月下旬号）の特別企画 「08年上半期、この映画...</summary>
   <author>
      <name>狂気の人々</name>
      
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      <![CDATA[<a href="http://www.kyoukinoumi.com/080702main1.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/080702main1.html','popup','width=120,height=169,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/080702main-thumb.jpg" width="120" height="169" alt="" /></a><a href="http://www.kyoukinoumi.com/poster011.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/poster011.html','popup','width=119,height=170,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/poster01-thumb.jpg" width="119" height="170" alt="" /></a>

　今出ているキネマ旬報最新号（７月下旬号）の特別企画 「08年上半期、この映画を観逃すな！」で、杉原賢彦さんが『狂気の海』をイチ押ししてくれてますね。キネ旬が取り上げてくれるとは思わなかった‥‥。杉原賢彦さん、ありがとうございます。

　なお、『狂気の海』パンフレット、引き続き映画美学校カウンターにて販売しております。名古屋シネマテークでも公開に合わせて販売いたします。]]>
      
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   <title>TOCHKA（松村浩行）</title>
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   <published>2008-07-15T05:59:18Z</published>
   <updated>2008-07-15T16:32:11Z</updated>
   
   <summary> 北方の海辺に建ち並ぶ戦争遺跡＝トーチカが引き寄せてしまった見ず知らずの男女。 ...</summary>
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      <name>狂気の人々</name>
      
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      <![CDATA[<a href="http://www.kyoukinoumi.com/FH010007-2.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/FH010007-2.html','popup','width=1022,height=768,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/FH010007-2-thumb.jpg" width="480" height="360" alt="" /></a>
<a href="http://www.kyoukinoumi.com/FH010031-2.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/FH010031-2.html','popup','width=1421,height=1061,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/FH010031-2-thumb.jpg" width="480" height="358" alt="" /></a>

北方の海辺に建ち並ぶ戦争遺跡＝トーチカが引き寄せてしまった見ず知らずの男女。
互いの眼差しが、言葉が、思惑が、記憶が交錯し、やがて逆らいようのないカタストロフへと運ばれてゆく…。
「男」を演じるのは三池崇史、黒沢清作品やタランティーノ『キル・ビル』等、幅広い作品で活躍し、多くの映画監督から厚い信頼を受ける俳優・菅田俊。
対する「女」には、井口奈巳監督『犬猫』での主演によってその魅力を広く世に知らしめた女優・藤田陽子。
全編に渡ってほぼワンロケーション、登場人物二人の、ミニマルにして豊穣、地味にして豪奢な、93分間の息詰まりをお見逃しなく！！

映画美学校セレクション2008『TOCHKA』@渋谷ユーロスペース
7月17日（木）21:00〜
＊上映前に菅田俊さんによる舞台挨拶を予定しています。

映画美学校セレクション2008の詳しい情報はこちら
<a href="http://www.eigabigakkou.com/festival/index20080627.html" target="_blank">映画美学校HP</a>

監督による自作解説はこちら
<a href="http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20080714" target="_blank">プロジェクトINAZUMA BLOG</a>

contre champによる作品評はこちら
<a href="http://d.hatena.ne.jp/hj3s-kzu/20080717" target="_blank">contre champ</a>]]>
      
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   <title>辻真先x切通理作x高橋洋トークレポート</title>
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   <published>2008-07-13T16:20:55Z</published>
   <updated>2008-07-16T07:19:58Z</updated>
   
   <summary> 映画秘宝誌にておこなわれた鼎談に引き続いて、『太平洋の亡霊』の脚本家、辻真先さ...</summary>
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      <name>管理人</name>
      
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         <category term="狂気日記" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[<a href="http://www.kyoukinoumi.com/tsuji01.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/tsuji01.html','popup','width=640,height=390,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/tsuji01-thumb.jpg" width="480" height="292" alt="" /></a>
映画秘宝誌にておこなわれた鼎談に引き続いて、『太平洋の亡霊』の脚本家、辻真先さん、評論家の切通理作さんをお迎えして、１時間の濃密なお話を伺いました。]]>
      <![CDATA[<a href="http://www.kyoukinoumi.com/tsuji02.html" onclick="window.open('http://www.kyoukinoumi.com/tsuji02.html','popup','width=640,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoukinoumi.com/tsuji02-thumb.jpg" width="320" height="240" align="left" alt="" /></a>本作『狂気の海』成立に多大な影響を与えた、『サイボーグ００９～太平洋の亡霊』について、いろいろお伺いしました。
　話はじょじょにホラーな方向に。辻先生、ホラーは苦手だけど、「人形怪談」だけはお好きとのことで、そういえば『００９』の最終回『平和の戦士は死なず』の人形も怖かった‥‥。
　で、「霊」の話に。『太平洋の亡霊』で起こったことは、すべてマッド・サイエンティスト平博士の“思念”の物質化だと思いますか？　最後に登場する平博士の息子は、博士にしか見えませんよね。００９たちの客観に入ると、誰もいない。あくまで“思念”の物質化なら、００９たちにも見えるはずでは？　との高橋の問いに
　「あなたは『きけ、わだつみのこえ』という映画をご覧になってますか？　あのラストで戦争で死んだ人々はあの世へと旅だって行きますよね。私は彼らの後ろ姿に向って言いたかった。あなた方、向こうに行っちゃっていいんですか？　まだやることがあるでしょ？　こっちに戻ってらっしゃい！」
　『太平洋の亡霊』が生まれた根っこに触れた貴重な言葉でした。
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